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叶 珠算会から保護者の方へのお知らせや授業風景、試験結果の報告など、叶 珠算会の日常をお届けします。
阪神淡路大震災の時(忘れえぬ記憶)
平成7年1月17日の阪神淡路大震災の時、父は全珠連の出張で滋賀に行っており、実家には母一人でした。
地震が起き、息子に「大丈夫か」と声をかけ、隣のおばあちゃん、近所の人達のことを気にしながらも、直ぐに実家へ走りました。
母は、玄関先におり地震で道路に吹っ飛んだ玄関の戸を、通る人の邪魔になるからと持ち上げたとたん腰を痛めました。
次の日か覚えていませんが、病院に行きましたが、負傷した人達が多く、見た目に怪我も何もしていない母は見てもらえませんでした。何年か後に背骨が3本折れていることが分かりました。
父はテレビのニュースで、生田神社の灯籠が落ち瓦礫となっているのを見、急いで、他の先生方と神戸へと向かいました。
大阪までは電車で来ることが出来ましたが、大阪からは電車が動いておらず、大阪から神戸の自宅まで歩いて帰ってきました。
その途中、西宮を過ぎたあたりから建物が倒壊し、東灘の辺りでは電車の電線が高架下まで垂れ下がっているのを見て「もしかしたら…」と「母の死」を覚悟していたそうです。しかし、先生方と励まし合いながら、「とにかく生きていてくれ」と祈りながら早く神戸に帰ろうと歩き続けました。朝早く滋賀を出発した父は、その日の零時を過ぎて家に辿り着き、母の無事な姿を見て倒れるように玄関に座り込みました。
自力では靴も脱ぐことが出来ないほどで、私が父の足をさするとパンパンに張っていました。
その朝、近所のおばあちゃんの姿が見えず、戸を叩いても大きな声で呼んでも返事が有りません。そうしているうちに父母を心配した兄が駆けつけ、その家の玄関の上の小さなガラスを割り、家の中に入ると、腰を抜かして声も発することが出来ず布団を頭からすっぽりとかぶり横になっていました。そのおばあちゃんの頭ぎりぎりにタンスが倒れていました。
兄は母やその人の無事を確認するやいなや、急いで兄の奥さんの弟妹、父母の様子を見に行き、義姉のお父さん、妹さん、妹さんの娘さんの姿を必死で探しましたが倒壊した家屋の下敷きとなってかえらぬ人となってしまいました。
私の家の近所では火災が起こり、私は、母が骨折しているとは思わず、歩くこともままならない母を椅子に座らせ、消火に走りました。しかし、あちらこちらで火災が起こり、また、瓦礫の道を通ることも出来ず消防車は来ませんでした。水も出なくなり沈下するのを待つしかありませんでした。
当時、娘は関大の近くで下宿しており、離れて住む娘のことも気がかりでならず、地震の後、瓦礫で道とは言えない道を自転車で西宮まで行き、阪急で下宿先まで行きましたが、顔を見ることができず心配で胸が痛みました。
新潟県中越沖地震のニュースを見るたび、当時のことが次々と浮かんできます。
神戸の人達の、困難にも負けない気持ち、お互いを思いやる気持ちがここまでの復興を支えてきたのだと思います。
被災地の方々に、どう、言葉をかけて良いのか分からないほどですが、どうぞ、どうぞ、ご健康に気を付けてお過ごし下さい。ご自愛下さい。
さえこ
投稿者 さえこ : 2007年07月18日 | コメント (0)
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